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n史郎がツイッター字数制限以上のつぶやきをしたいときの置き場です。

全て一緒くたにするクレイは救世主になれない

 先日5回目のプロメアをキめてきた。5回見て、5回目にして「ん?」と疑問に思った箇所があり、それを整理したい。

 

 私は、ガロが終盤(地球もリオも含めて)クレイを助ける、と言ったことに、とても疑問を感じている。

 これは、「どうして自分にひどいことをした人を助けるなんて言えるんだ?!」という疑問ではなく、そういうセリフが出た割には、本編中でガロが直接的にクレイを救ったな、と感じられるシーンがそれ以降ないからだ。

 

 リオを人工呼吸で救出後、確かにガロはリオと組んで宇宙を完全燃焼させ地球を救ったのだが、それがクレイを救ったのか?と思うとどうにもしっくりこない。

 確かにクレイのプロメテックエンジンによってプロメア暴走が激化し、地球の破滅までのリミットが相当縮まったんだろうな、と読み取れるだけの描写はあったと思うので、ガロが地球を救ったことで「クレイに地球を"壊させなかった"(=これ以上彼が罪を重ねることから救った)」という、尻拭い的救済は成されたと思う。

 が、私はクレイが真に人類を救いたいとか、真に地球を守りたいとか、そう思っていた、とはあまり考えられない。なぜなら彼がもし本当に人類を救いたいと思っていたなら、1万人どころか地球込みで全人類を救ったガロに泣いて礼を言うはずだからだ。

 しかしクレイは、礼を言うどころか(ある種の朗らかさがあった上に、話の表の文脈はプロメアが消滅しバーニッシュと呼ばれる特異的な人々はいなくなった、だったとは言え)「余計な真似を」と言うのだ。彼が「本気で」人類を救いたいと思い、人類を救うことが至上命題だったなら「余計な真似を」とは言わないと思うのだ。少なくとも、人類が救われればクレイが救われるほど、クレイは人類愛に満ち満ちた人ではないと思っている。なので、地球・人類救済=クレイを救う、にはならない。

 

 だったら、なぜガロはクレイを助けると言ったのか?これは、クレイを救済するという意味ではない、少なくともそれ以外の意味があって出て来たセリフなのではないか?という疑問が湧いたのだ。

 

 結論から言うと、これは全てを一緒くたにするクレイは救世主になれず、奇跡的に「それはそれ、これはこれ」をやり抜いたガロこそが奇跡を起こすにふさわしい救世主だった、という描写なんじゃないか、と思ったのだ。

 

クレイは色々な問題を混同して扱う人である

 クレイは一見超合理的で感情に流されない冷徹さを持つ雰囲気があるが、彼は色々な問題を混同し、全部一緒くたにしてしまう人なんじゃないか、と思っている。それが見て取れるのが、彼がガロを嫌う理由だ。

 

 クレイは本性を表した際、ガロが目障り(なので嫌い)で、死んで欲しいと思っていたがなかなか死なず、自分の思い通りにならなかった(ので嫌いだ)、というように受け取れることを言っていたと記憶している。

 クレイにとって、ガロは具現化した罪そのものだ。クレイがプロメアの暴走を止められず焼いてしまった家、その火事の生存者がガロである。あの火事でどれだけの人がなくなったのかは不明だが、少なくともクレイはガロに火事という恐怖体験を強いたし、普通に殺人未遂で、もしあの火災の生き残りがガロだけで家族他住人が全て死んでいたとしたら殺人だし、ガロを天涯孤独に追い込んだことになる。

 そういう、人の人生を台無しにしたという罪の生き証人がガロである。だとすれば、ガロが何も知らずクレイを慕えば慕うほど、クレイに良心があればあるほど、それは地獄だったはずだ。

 

 が、よく考えるとこれは「ガロを嫌う理由」としてはおかしい。

 上記の通り、ガロは別に何もクレイに危害を与えていない。むしろ危害を与えたのはクレイの方だ。クレイがガロを嫌いになる正当らしい理由は皆無で、クレイの言っていることとは

「ガロを見ていると自分の嫌なところを突きつけられた"気がする"から、ガロのことを見ていたくないし、死んで欲しい」

とほぼ同義だと思う。

 さらに、クレイは上記のような八つ当たり理論を自分がいけしゃあしゃあと言っている自覚がないと思う。(あったとしたら、人類の救世主を自負するクレイ的に相当恥ずかしいはずだ)

 つまり、クレイは自分の罪悪感と、その罪悪に関連するガロを「一緒くた」にしてしまっているし、無意識でこの思考回路にハマっているのだ。

 この一緒くた思考回路はバーニッシュに対する憎悪にも当てはまる。クレイはバーニッシュを相当嫌悪し、およそ人道的に許されるとは思えないプロメテックエンジンをワープゲートの動力として採用している。リオは「同じ人間なのに(クレイはバーニッシュに人体実験等非人道的行為をはたらく)」と零すが、クレイにとってバーニッシュはおよそ人ではないんだと思う。それくらい憎悪している。

 が、作中クレイがバーニッシュをそこまで憎まなければならない理由がない。例えば、大炎上の際に家族をバーニッシュ火災で無くして天涯孤独になったとか、そういうバーニッシュがクレイに危害を与えた、という描写があればわかるのだが、そういうものはない。

 あるとすれば、それは「プロメアの誘惑と常に戦わなければならない自分自身の置かれた状況、およびその誘惑に負けてしまった過去の自分の罪」への嫌悪だ。でも、これはクレイ自身の問題で、プロメアへの憎悪の理由にはなっても、他のバーニッシュを恨むのは筋違いだ。

 ここでも、クレイの一緒くた思考回路がはたらいている。バーニッシュである自分自身、あるいはプロメアへの憎悪が、なぜか他の全く罪もないバーニッシュに転嫁されてしまっているのだ。

 自分嫌いの感情が、知らない間にその外縁に位置する事象や人に飛び火して、そっち側に激しい憎悪が向いてしまうのがクレイだ。事象と事象の境界どころか、下手をすると自己と他者の境界すら融解し混同し、全て一緒くたにしてしまっているのだ。

 こうやって書くとクレイが相当やばい奴に見えるが、これはクレイがこの性質を持った上で相当のキレ者で実行力があり有能だからであって、この 「全て一緒くたにしてしまう」性質というのは凄くありふれている。

 例えば、明日は遊園地に行くことにしているのに天気予報でキャスターが雨だと言った時、「ええ!」と天気予報に苛立ちを覚えたりしないだろうか?天気予報は一定のルールに準じた予測結果を述べているだけだし、雨が振るのも自然の摂理に従っているだけで、誰もあなたの明日の予定を阻害してやろうとして雨を降らせているわけではない。だけど、それを口にしたキャスターに、その結果に、イラっとしないだろうか?何でそんなこと言うの、と一瞬でも思ったことはないだろうか?

 原理的には、これとさほど差はないと思うのだ。それが過激に描かれているのがクレイ・フォーサイトなのではないだろうか。

 

 

ガロは徹底的に「それはそれ、これはこれ」の思考の人

 一方のガロは、「それはそれ、これはこれ」が徹底している。ガロの「それはそれ、これはこれ」描写で「すごいな」と思うのが、「”バーニッシュも飯を食うのか?”の撤回」と「バーニッシュをむやみに殺すな」発言だ。

 

 まず、前提としてガロはバーニングレスキューだ。相当の新人で、現在7月31日までGYAO で見られる前日談から何日後が本編なのか不明だが、クレイが「バーニングレスキューに入れたのに全然死なない」と怒っていた上に、本編でも景気付けと言うなのファンサービスをして野次馬から声援をもらっていたことを見るに、彼が現場を数度以上経験するくらいの間はあったのでは?と思っている。

 

※もしガロ編をまだ見ていない人がいたら、このブログはどうでもいいから早くガロ編を見て欲しい。

gyao.yahoo.co.jp

 

 話を戻して、以上からガロは「バーニッシュの火災で被害を受ける人々」を目の当たりにしているし、そのバーニッシュの火災に命がけで飛び込んでいく仕事をしているわけで、そんな人間からすれば「バーニッシュも飯を食うのか?」という台詞が飛び出ても仕方ないと思っている。

(私は、これはリオの「燃やさなければ生きていけない」という、放火が生命維持に不可欠とも取れる台詞を汲んでの皮肉だったのではないかと思っている)

 これに対してリオは、バーニッシュを何だと思っている、同じ人間だ、と憤慨する。憤慨したくなるリオの気持ちはわかるものの、彼も視野が狭い点では「飯食うのか」発言したガロと同レベルだ。

 バーニッシュはむやみに人を殺さないとリオは豪語するが、それはあくまで彼に賛同する同胞の「意志」であって、バーニッシュの炎は現に発生すれば物を壊すし人を殺す。

 アメリカは銃社会で自分の銃を持っている人が大勢いるが、当然アメリカの全ての人が銃を乱射するわけではないものの、だからと言って「僕たちは銃を護身用に持っていて、向こうが危害を加える意志がない限り無闇にそれを行使したりはしない。それなのに僕たちを人外扱いするのはおかしい」と”銃乱射事件専門で出動する機動隊”(しかももしかしたら過去銃乱射事件で家族を喪ったかもしれない人)に言い放つのは、なかなかどうして、リオたちバーニッシュが人外扱いされるのと同じくらい酷ではないかなと思うのだ。

 

 がしかし、ガロのリアクションは驚きのものだ。「悪かった」と自分の発言を撤回するのだ。私は、ええ、と驚いた。ガロの、火事から救われたというバックグラウンドがなければわかるのだが、彼だってバーニッシュ火災の被害者なのにその潔さは何だ?と驚いた。

 さらに驚きなのが、ガロはこの後クレイがバーニッシュに人体実験しているという、自分が信じて敬う人への侮辱(しかも放火魔の親玉の発言)を無視せず、事実確認しに行く。そしてそれが本当と分かるや否や、「バーニッシュだって人間だ、無闇に殺すのはおかしい」とクレイを説得しにかかる。

 ええ?!となった。バーニッシュが人間なら、ガロだって人間だ。ガロはその同じ人間というバーニッシュの無闇な放火で命を落とすところだったしもしかしたら家族だって死んでいそうなものなのに、その台詞が出るってどういうことだ?と。

 

 これが、ガロの徹底的な「それはそれ、これはこれ」なのだ。自分が過去火災で死にそうになったこと、自分がレスキューとしてバーニッシュ火災と命がけで戦っていること、バーニッシュは特異的な性質を持つ人であること、彼らがその性質を持つと言う理由だけで殺すことは間違っているということ、これらの事象や言い分、考え方は、ガロの中で全く矛盾しない。ガロは直接的因果関係のない事象を感情に任せて混同させることはしない。

 多分、いろんな人はガロのこの性質を「バカ」とか「能天気」だと言うんだと思う。なぜなら、ここまで徹底した「それはそれ、これはこれ」は並大抵の人では無理だからだ。バカと天才は紙一重というが、まさにこれだ。人は自分が理解できないものに名前をつけて枠外に押し出す。バカも天才も、そう言う点では大差ないのだ。

 

 

クレイも助けられるからガロは奇跡が起こせる

 冒頭で掲げた問題に戻る。

 ガロは終盤、「自分が命を落としそうになった火事の原因はクレイであり、クレイはそれを秘密にして自分がガロを助けたことにして好感度を取りに行った挙句、自分のことを目障りだと思って終始その死を願っており、レスキューに入れたのも職務中に死ねと思ってのことで、実際自分のことを殺そうとして炎を放ちパルナッソスから突き落とした」ことをわかった上でクレイに「あんたも助ける」と言ってのけた。

 これはどういうことかというと、クレイがどれだけ人道に反した人間であり、どれだけ自分に過去危害を加え、どれだけ自分のことを嫌悪する人間だったとしても、「それはそれ」であり、彼が生きている以上命を落とさないよう助けなければならない「これはこれ」とは矛盾しない、と言う意味だ。

 クレイは、このガロの理論が全く理解できなかったから「私を?」と拍子抜けしてしまったのだと思う。それはそうだ。あんな理由でガロを嫌ってきたクレイが、理解できるわけがないと思う。

 この、一種神にも似た奇跡のような「それはそれ、これはこれ」が成せるからこそ、ガロはリオと組めたし、地球を救えた。一方で、あんな奇跡じみたことが起こせなければ、クレイのパルナッソス計画で1万人を救う方法しか有効な手立てはなかったのも事実だと思っている。

 奇跡はフィクションでしか起きないけれど、理由なき奇跡は面白くない。だからこそデウスエックスマキナ、もとい機械仕掛けの神はあれだけダサかったのだと思う。

 フィクションで、ありえない奇跡だからこそ、その結末はありえない奇跡から起こってほしい。じゃないと、クレイ・フォーサイトの決死のパルナッソス計画は何だったんだ?と思ってしまう。どうしてクレイ・フォーサイトではダメだったのか?とやるせなくなってしまうではないか。

 故に、ガロは「あんたも助ける」とクレイに言ったのだと思う。なるほど、八つ当たりじみた気持ちで死ねと炎を吐いた大人、それでもあんたも溢さずもれなく助けると言ってのけた子供。そこに奇跡が起きないんだったら、それこそダサいなと誰もが思えたはずだ。

 

 なので、ガロは物語の終盤で変にクレイにすり寄ったり和解を思わせるようなそぶりをして「助ける」を匂わす必要なんかないのだ。だって、助けたい人間と好意を寄せる人間を等号で結ぶことは「それはこれ」なのだから。

 ガロは「それはそれ、これはこれ」だ。ガロがクレイを助けると言ったことが「それ」なら、クレイがガロを傷つけたことをガロがどう解釈するかは「これ」だ。「それ」と「これ」の感情の符号がプラス・マイナスで真逆だったとしても、「それ」と「これ」は別だからいい。

 だからエンディングにクレイとガロの明確な和解の描写はなかったし、あってはいけなかったのでは?と思うのだ。

 好きじゃなくても助けていい、助けた人を嫌ってもいい。だから、嫌いだから助けない、はいけないし、嫌いなことが助けない理由にはならない。それがガロの「それはそれ、これはこれ」だと思うので。

 

それはそれとして

 ここまで書いておいて何だが、私はクレイとガロの和解エンド「も」見たかったな〜〜〜〜〜〜という人間である。なので、ここまで書いておいたことはそれはそれとして、和解エンドはこれはこれなので元気に妄想しようかなと思う次第だ。