140字以上メモ

n史郎がツイッター字数制限以上のつぶやきをしたいときの置き場です。

”他者とのつながり”を背負う赤城というキャラクターについて

毎月毎月ジャンプSQ.を買っていたのになぜか読んでいなかった怪物事変をようやく読んで、主に赤城さんに全て持って行かれてしまったので感想文を書こうと思う。

基本、SQ.本誌に掲載の話を読んでいるが、たまに歯抜けの月があってそれを補うために一部コミックスを買った上にコミックスにしか取り上げられていない情報にも触れて記事を書いたので、該当の単行本のリンクを貼っておく。

※怪物事変59話までのネタバレを含みます

 

 

赤城さんの”本当の”望みはなんだったのか?

赤城さんは狐であり、飯生の命に従って行動する。これは忠誠心起因ではなく「”望み”を叶えてもらえる」という報酬起因である。

今のところ、これはほぼ全ての狐に言えることだ。つまり、飯生派の狐にとって"望み"は相当のウエイトを占めていると言って良い。

さて、その赤城さんの”望み”であるが、これはさまざまなキャラクターから繰り返し言及されている。本人のセリフ曰く、以下の通りである。

「……50㎢以上の生き物のいないAIで管理された街を希望します」

怪物事変 41.大切な人 ジャンプSQ. 2020年5月号

どういうことかというと、赤城さんは潔癖症持ちなのだ。単行本10巻の怪物辞典③では以下のように説明されている。

赤城の場合は、自分以外の生き物すべてと、それらが触れたものが苦手です。赤城にとって、街は常に脂臭くて、呼吸するのも嫌なほどです。

怪物事変 怪物辞典③ 単行本10巻

したがって、赤城さんにとってこの世界は地獄の真っ只中なのだ。綺麗好きとか几帳面とかそういう次元の話ではなく、有象無象の生き物がひしめく雑多な世界に適応し生きていくことが赤城さんにとっては著しく難しい。

エラ呼吸の生き物で構成された海の中で、それでも生きろと強いられている肺呼吸の生き物、それが赤城さんというキャラクターなのだと思う。

赤城さんの"望み"と彼が抱える”病”(赤城さんが自分の潔癖症を"病"と呼称しているのでこのブログではそう扱っていく)を掛け合わせると、赤城さんの"本当の望み"とは

・生きやすさ

であることがうかがえる。

つまり、赤城さんが表向き唱える「50㎢以上の生き物のいないAIで管理された街」という望みは、望みであって望みでない。これは目的ではなく手段である。

赤城さんの本当の望みとは”生きやすい”ことであり、赤城さんの経験と想像力を持ってして考えつく"生きやすさ”の具体例が"「50㎢以上の生き物のいないAIで管理された街」で暮らすこと”に過ぎない。

そして赤城さんは、この

・本当の望み≠手段=「50㎢以上の生き物のいないAIで管理された街

の構図に自覚的でない。どういうことかというと、

・「50㎢以上の生き物のいないAIで管理された街」に住む以外にも赤城さんにとって生きやすい方法はあるし、なんだったら赤城さんの望む生きやすさは「50㎢以上の生き物のいないAIで管理された街」に住むこととは別のところにあるかもしれない

という可能性を考慮できていない。少なくとも41話の回想シーンの時点では理解できていない。

しかし、彼はそれに気づく。花楓くんという存在を介して、赤城さんはそれに気づいていくのだ。

赤城さんは、AIで管理された街などという諦念的な方法を使わずとも、”汚れ”に脅かされない世界を手に入れる術を知ることになる。

 

浄化の炎が赤城さんにもたらしたもの

赤城さんの潔癖症は、自分以外の全てに苦痛を感じるレベルのものではあるが、これに対処する方法が一つだけある。これは赤城さんの潔癖症について触れられた怪物辞典③にて記載されている。

ですが、ひとつだけ赤城のルールを浄化できるものがあります。それは「火を通すこと」です。赤城の持たない、炎の力なのです。

怪物事変 怪物辞典③ 単行本10巻

この炎が赤城さんの病において「抜け道」的な役割を果たすことは初登場のバーベキューでも伺えるわけだが、特に花楓くんの炎は「抜け道」を越えて「絶対守護」のシンボルのような扱われ方をしている。

48話では、赤城さんが花楓くんの炎に心を奪われ、それを「不浄の炎」と称して「美しい」と評価するシーンがあるし、これ以前の話においても花楓くんの出す炎を褒める描写は度々あった。51話では、かつてライナスの毛布と称していたウェットティッシュのボトルを取り上げられても心を乱すことなく、不要だと宣言している。

赤城さんが花楓くんの炎に入れ込んでいるのは第三者からしても一目瞭然なようで、太三郎狸からは狂信っぷりを指摘されており、野火丸からは精神安定の要因であるという風に分析されている。

事実、花楓くんの炎が燃え盛る中、赤城さん本人も以下のように宣言している。

「炎の中でなら僕は――この忌まわしき病を捨て去れる!!」

怪物事変 51.裏屋島 ジャンプSQ. 2021年3月号

三者の目からしても、本人の意識でも、赤城さんにとって花楓くんの炎とは、穢れを滅し、病の呪縛から自身を解き放ち、赤城さんを弱者から強者へと底上げする何かであることは間違いなさそうだ。

 

この「火を通すこと」のルールには曖昧さがあるというか、厳密に火が通っていて滅菌されているかどうかは問題ではないと思っている。

「火を通す」とは赤城さんが患う潔癖症において唯一設けられた「明文化された隙間」であり、その隙間に物事をどう捻じ込むかは赤城さんの解釈次第なのだ。なぜなら潔癖症はウイルスvs自分のような構図のものではなく、赤城さんの中だけで完結する病だからである。

赤城さんは、この解釈の隙間に花楓くんの炎をねじ込み、さらにエスカレートさせて「炎は不潔を殲滅する」まで増強させたのではないだろうか。炎に囲まれた空間を病に脅かされない絶対守護領域とし、炎を生み出す花楓くんと一つになることで不浄を克服する術を自ら手にしたと解釈したのだと思う。

想像だが、赤城さんは自身の命を潔癖症に握られるような生き方をしてきたのではないだろうか。赤城さんが触れたいもの、行きたいところ、やりたいこと、それら全ては赤城さんの意思の篩にかけられる前に、まず潔癖症の篩にかけられている。たとえそれが赤城さんの中で完全完結する問題だったとしても、赤城さんは壮絶な不自由の中で生きてきた。

その赤城さんに自由をもたらすのが炎であり、自ら炎を生み出せない赤城さんがそれを手にする方法は花楓くんと一つになることだった。

AIで管理された街に逃げ込むなどという疎開をせずとも、赤城さん自身が自分を苛む全てを焼き払って自由を勝ち取ればいい。その選択肢を赤城さんが得るためには花楓くんが必要だった。

多分これは間違ってはいない。けれど、少し腑に落ちないところがある。

もし赤城さんの目的が”生きやすさ”であって、その”生きやすさ”の獲得方法を疎開ではなく開墾に切り替え、もっというのなら己の生殺与奪を病ではなく己の意思で決めることが望みだったとして、であるならそこに必要なのは花楓くんではなく花楓くんの炎だっただろう。

そこに花楓くんという存在は不要であったし、火之迦具土は双頭の狐である必要はなかった。花楓くんの炎の力だけを取り込んだ単一の個体の姿であってもよかっただろう。

どういうことかというと、

  • 火之迦具土あえて双頭の姿をしていた
  • そこに宿る意味とは”一体化”や”完全性”ではななく”相補”なのではないか?

ということだ。

赤城さんというキャラクターが「己の不自由を克服するために他人を消費する者」であり、花楓くんが「粗暴で無知で他人にいいように利用され搾取される者」であったなら、火之迦具土の頭は一つであったと思う。

あの頭が二つであったということは、あれは赤城さんが花楓くんを利用した結果でもなければ、赤城さんが花楓くんの炎の虜になって取り込まれた姿でもないのだと思う。

火之迦具土とは、赤城さんにとって唯一許された”他者と繋がり一つになる方法”であり”他者と繋がり一つになった姿”ではないかと思っている。

ここから何が言えるのか?つまり赤城さんとは”他者とのつながり”という要素を背負うキャラクターではないか?ということだ。

 

他者と関わりたい赤城さん

赤城さんの興味深いポイントは、重度の潔癖症持ちであるにもかかわらず他者と接点を持つことを諦めない点だ。

赤城さんが飯生の下に就くまでの期間の回想にて、社会に溶け込んで生きることをやめなかったり薬物治療を試みたりする描写がある。*1

また、彼は花楓くんとの相棒関係の維持継続および深化についての努力も全く手を抜かない。

たとえ赤城さんが潔癖症を患っていなくとも、あの性格で花楓くんのような天真爛漫の極致みたいな男と共に行動することは相当キツいと思うのだが、それでも彼はその努力を怠らなかった。赤城さん的表現を使うのであれば、赤城さんは確実に花楓くんに「興味があった」。

それは赤城さんの言動の端端から感じられる。以下にまとめてみた。

  • 花楓くんの理解を優先し、自分の言語表現を花楓くんが理解できるレベルまで落とし、必要であれば図解を厭わず、かつ理解が追いついているかの確認を行う。
  • 花楓くんが単純な男とはいえ、彼がどういった性質の人間であるかを理解するために彼の言動を気にかけ、そこから推察を試みている(そして概ね当たっている)。
  • 他言無用の秘密の作戦を練るためとはいえ、花楓くんのような粗野な男を自宅に上げている。(単行本8巻の花楓くんのプロフィールを見るに、一定の頻度で自宅に突撃されている)

ここからわかるのは、赤城さんは潔癖症という病を患ってはいるものの、その病のことさえ棚にあげれば他者と関わることに興味関心があるのではないか?ということだ。

赤城さんは一見すると孤高を愛する男のように見えるが、花楓くん向けの言い換え表現や確認行為、関係解消を花楓くんから一方的に告げられた後での埠頭での悶着からすると、恐らく相互理解を望んでおり、その相互理解にある種の憧れを抱いている一面がある

このことは、赤城さんが花楓くんに対し、自分たちの敗北の原因を以下のように説いている場面からもうかがえる。

「もうひとつは君が僕に興味がないからです」

「君は相棒(ぼく)能力(こと)を何も知らない。夏羽クンたちは子供でしたが強い絆で繋がっていた。僕たちは彼らの連携に負けたんです」

怪物事変 36.悪癖 ジャンプSQ. 2019年12月号

私はこの赤城さんの言い分に対して、「”夏羽たちの連携プレーに負けた”のは本当であっても、"花楓くんの赤城さんに対する理解が乏しかったせいで負けた"のは本当ではない」と感じた。

赤城さんと花楓くんが負けた理由ははっきりしていて、環ちゃん+流結石が参戦したことで夏羽陣営たちの攻撃量が「花楓くん+赤城さんの視覚支援」の対処能力を越えたからだ。3対2で普通に物量戦で負けていて、足し算引き算の原理で説明がつく敗因だったと思う。あの戦況を振り返って「増援があれば勝てていた」ではなく「連携できていれば勝っていた」と言う赤城さんには合理性を感じられない。そのセリフが出て良いのは、予定していた連携技が決まっていれば勝てていたという算段がある場合だけであり、そしてそんな技は八ツ首村の戦いの時点で赤城さんと花楓くんの間にはなかったはずである。

したがって、言えるのは一つで、赤城さんは連携に憧れてしまったのだと思う。夏羽たちの連携を見て、他者と繋がって掛け算で力を増幅させるという"夢"を赤城さんは見てしまった。そして、赤城さんはそれを花楓くんと成したかった。

だからこそ赤城さんは花楓くんからの一方的な関係解消宣言に憤ったし、こじつけの理論で花楓くんから自分への理解の浅さを責めたし、相互理解を深めることで連携することが強さなのだともっともらしく説いた。赤城さんがそれを自覚していたとは思わない。赤城さんは埠頭での悶着の時点で本当に自分たちの敗因を「連携不足」だと思っていたし、「連携すれば勝てる」と信じていたし、そのロジックの合理性を疑わなかった。

こうした赤城さんの言動から、彼にとっての真の生きやすさの形が見えてくる。それは、決して無人で無機質な空間で一人で生きていくことではない。赤城さんが求めているのは

・他者と繋がり、関わること

に他ならない。それを、赤城さんが患う潔癖症が阻害している。最も望んでいる社会的な生き物が抱く普遍的な願いを手にするために、他者にはそうそう理解されない自分にとって許容し難い苦痛を耐え続けなければならない。それが赤城さんの状況で、赤城さんの地獄だ。

赤城さんはこの状況に自覚的でないから、雑多すぎる世界からの離脱が全てを解決すると思っており、だからこそ「50㎢以上の生き物のいないAIで管理された街」を望み、孤独を選ぼうとした。赤城さん的にそれは「逃げ」ではなく「勝ち抜け」のようなものだったのだと思う。赤城さんはその勝ち抜けを信じていたから、社会的なポジションを捨てて飯生の下に就いたのだ。

そうして深層に埋められ30年間誰にも気づかれなかったはずの赤城さんの根源的な願いは、花楓くんが生み出す美しい炎によって揺さぶられ、知らずのうちに芽吹き、そしてそれは火之迦具土という姿を経て果たされる。

火之迦具土と成った赤城さんは、相対する夏羽に以下のように告げている。

「君のような子供に敗北しなければ僕は 他人に歩み寄ろうなんて生涯思わなかったでしょう」

「一人でよかった 孤高でよかったのに 飯生さまあの女の力を借りずとも欲しかったものを手に入れた」

「安らぎですよ この世にこんな幸福があるとは……知らなかったな…」

怪物事変 52.突入 ジャンプSQ. 2021年4月号

生きづらさに苛まれてきた赤城さんに安らぎを与えたのは、炎であって炎でない。一人ではなく、孤高ではなく、他人に歩み寄って自分の力で手に入れた本当に欲しかったもの。

本当に欲しかったのは、自分を苦しめる要因を排除した世界ではない。自分を苦しめる要因を排除する力でもない。苦しみに塞がれ諦めてきた、他人と繋がり関わること。その具現化が火之迦具土であり、その連れ合いが花楓くんだった。

花楓くんの炎は、赤城さんの病の「抜け道」を切り開くきっかけにすぎない。赤城さんが本当に欲しかったのは他者であり、花楓くんとの関わりだったのではないだろうか。

 

赤城さんが遺したもの

念願叶って他者との深い関わりを持てた赤城さんは、では主人公たちに勝てたのかというと、当然ながらそうはならなかった。その理由を「主人公補正」とか「でないとストーリーが成り立たない」で片付けるのは野暮だろう。

悪役の魅力とは「負けること=否定されることで意味を成す」という性質であるから、だからこそ負け方に着目しなければならない。

 

連携の力をもってして夏羽たちを倒さんとした赤城さんと花楓くんだが、そんな彼らはさらなる連携を前に圧倒されていく。しまいには花楓くんは織と晶の連携技によって目を潰され、合体しまくった夏羽のパンチで火之迦具土は引き裂かれそうなほどのダメージを負う。

ここからの赤城さんのブチ切れ方は壮絶だ。彼のセリフを字義通り受け取るなら、炎の神たる自身らに歯向かっている事実自体に憤り、炎である自身らの敵=汚物とみなして相手を罵っている。ただ、これを字義通り受け取るのは少し違う気がしている。大仰なセリフの裏で、赤城さんは何に怒り、何を否定しようとしたのか?

それは、他者と繋がり一つになった自分を、それを上回る団結の力で倒されるという構図への反発なのではないかと私は思った。主人公たちや屋島の人たちは、自分たちを侵略し脅かす敵に対して抵抗しているので赤城さんの思考回路など知ったことではないのだが、赤城さんからすれば夏羽たちの攻撃とは、他者と繋がり一つになって、やっとみつけた自分だけの安らぎそのものを否定され剥奪されることと等しかったのだと思う。

だからこそ赤城さんは主人公たちを”汚物”と罵ったのではないだろうか。病の絶対ルール下で生きるしかない赤城さんにしてみれば、彼を苛み苦しめてきたのはいつだって”汚物”だった。そのルール下でやっと手にいれた繋がりを、そんな苦しみなど知らない無数の人間の繋がりが絶とうとしている。その意味に赤城さんはなにより憤ったし、きっと恐れた。

 

結局、抵抗虚しく火之迦具土は裏屋島の人々の団結によって倒される。あれだけ己の守護とあやかってきた炎に焼き尽くされながら、赤城さんが案じるのは花楓くんのことだった。

赤城さんは最後の最後まで、炎と風の関係に擬えながら、花楓くんに詫び、説いた。自分一人では花楓くんにとって足りなかったこと。花楓くんにはもっと数多くの繋がりが必要なこと。花楓くんにはより強い誰かとの繋がりが必要なこと。花楓くんとの繋がりによって安らぎを覚えた赤城さんだからこそ言えたことではないだろうか。繋がりの力を認めた赤城さんだからこそ、わかったのではないだろうか。

一人ぼっちはもちろん、二人ぼっちでもどうにもならないことが世界には山ほどある。それをどうにかするために人は繋がる。その繋がりの連鎖が仲間であり、共同体であり、ひいては社会であり、飯生に就くまではなんとか赤城さんが接点を保とうと努めてきたもので、つい最近までは諦めていたもので、自分たちを倒したもの。それを恨むでもなく、憎むでもなく、赤城さんが思ったのは、それが花楓くんには必要だということだった。

赤城さんは、あくまで繋がりの力を否定はしなかった。繋がり、結ばれ、誰かとともに在り、助け合い補い合うこと、それそのものは何も間違っていない。だた、自分一人の力では花楓くんを支え切れなかった。自分と花楓くんの繋がりだけでは弱かった。赤城さんはそれを認め、花楓くんを案じ、背中を押そうとしたのではないかと思う。

だからこそ赤城さんは、繋がりを赤城さんにもたらした炎を、火之迦具土を、花楓くんとの関わりを、赤城さんだけの安らぎを、『もうしない』という言葉で否定はしたくなかった。赤城さんはそれを「嘘でも言いたくない」と言った。

しかし、あえて『敗けました』を告げたのだ。より広く深いつながりの力で倒されたことを、赤城さんは肯定した。赤城さんはそれを認め、目を潰された花楓くんに聞かせるためにあえて口にしたのだと思う。

存在と存在は繋がれると身をもって知り、その繋がりに安らぎを感じた赤城さんだからこそ辿り着いた答え。赤城さんはそれを、花楓くんに伝えたかったのではないだろうか。自分が最初で最後に繋がった、安らぎを与えてくれた相手を案じて、残していく相手を思って、赤城さんはそれをどうしても伝えたかったのではないだろうか。

 

かくして、赤城というキャラクターの幕はここで降りることになる。

苦しみを避けるように孤独を選ぼうとした男は、知らずのうちに他者との関わりを望み、繋がりを覚え、そして相手の未来を案じ、燃えていった。

利害だけで手を組む繋がりを「大人の関係」と称し、自分を含めた狐一同を「自分のことしか考えていない」とみなした狐は、誰より繋がりに安らぎを感じ、覚えたての慈しみを遺して逝ってしまった。

 

それを花楓くんはどこまで理解しているだろう?教養がない以前に情操が未熟な花楓くんがそれを識る時、もはや赤城さんを覚えているのかもわからない。

それでも、理由もわからないまま「赤城さんみたいなニオイがするから」とウェットティッシュを欲しがり、生かされた花楓くんは、きっといつの日か識るだろう。

小さな子供は、他者を思いやることが困難だという。それはかなり高等な心理状態で、花楓くんはそれと同等か、それ以下と思われる。

そういう時は、子供の大事なものに置き換えて、例えて説いてやるといいそうだ。「お母さんが殴られたらどう思う?」と説けば、自分の大事なものを傷つけられた「もしも」を想像して、そうして他者の痛みを想像するに至るらしい。

だとすれば、赤城さんはきっと花楓くんの「大事なもの」になるのだろう。花楓くんはこれから夏羽たちと時間を共にし、赤城さんを亡くした痛みを理解して、そうして自分が傷つけた様々なものの痛みを識るのだろう。識ったその先に何が待っているのかはわからない。幸いではないだろう、きっと苦痛には違いない。識らなければよかったと悔やむことにはなるだろう。

それは、花楓くんが社会と交わるためには避けて通れない道だ。そして、それは避けずに通るべきだと赤城さんは思ったのではないだろうか。その苦痛を耐えてでも価値があると、赤城さんは感じたのだと思う。他でもない花楓くんと繋がって、きっとそう思ったのだろう。

 

赤城さんは本当に死んでいるのか?

とはいえ、赤城さんの死には謎が残されている。死体を持ち帰ろうと画策した野火丸の意図は不明だ。(野火丸の言う「赤城の置き土産」というワードも気になるところだが、これは裏屋島での戦いの一部が表の世界に知られてしまったと思われる一件を指しており、伏線としては回収済みではないかと思っている)*2

今のところは太三郎狸を討った功労者として死体が入ったトランクが飯生に差し出されたくらいしか出番がないし、そんなことのためにわざわざ死体を盗み出す形で持ち去ったとは思えない。

そもそも、赤城さんが死んでいると読者(や夏羽)が思っているのは野火丸がそう言っているからであり、夏羽は野火丸に制されて赤城さんの死体に触れずじまいだ。これで赤城さんがまた生き返るとなると大蛇や狸とさらなる軋轢が生まれそうなのでその線はあまりないとは思っているものの、このまま赤城さんの推定死体の謎が不明のままでは終わらないだろう。少なくともそう思いたい。

各陣営、それぞれの思惑を提げたまま舞台は京都へと移っていく。赤城さんに社会的な生き物としての幸いを与えた花楓くんは、獣のままであろうとするのか、あるいは苦しみながら社会と繋がるのか?

夏羽が取り組んでいくことになる花楓くんの情操教育は、物語の一つの柱となり見逃せないテーマになりそうだ。

 

*1:赤城さんのプライドの高さから推測するに、「誰かと繋がりたい」ではなく、「逃げたら負け」のような価値観があったことは想像できる。ただ、「社会との接点を断つことが負け」「誰にもできることができない自分は負け」という発想そのものが他者の存在を意識しないと存在し得ない。

なぜなら、世界に自分一人なら勝ちも負けも存在しないからだ。勝ちや負けには競うべき対象とその勝ち負けを観測する存在がいて初めて成立する概念だからである。

したがって、赤城さんは孤独であることで出家的な生きやすさは得られたかもしれないが、「望みが叶う」とはかけ離れた諦念的なものになっただろう。

*2:その置き土産によって「屋島がちょっとしたパニック状態」になっており「気を遣ってか(夏羽たちに)知らされなかった」という説明と、このSNS騒動を聞きつけた隠神が「いらん気遣いやがって」と口にしていることから推測している。