久慈誓は悪いやつだし兄だったで正解
最終話を見て
さらざんまい、最終話を見た。金曜朝の5時にFODで見て、胸にぽっかり穴が空いた。久慈誓だけが取り残されたような気持ちになったからだ。
私のツイッターを前から追ってくれている人がいたらわかってくれると思うのだが、私はワンピースのローとコラソンが大好きで大逆転裁判のバンジークス兄弟が大好きな人だ。そして、イナズマイレブンアニメ版で吹雪士郎がアツヤのマフラーをグラウンドに投げ捨てたことにひどいショックを受けた人間でもある。
要は、悠がこうもあっさり誓を卒業したことがとても悲しかった。なにか引きずる描写をくれれば…と思っていて、それがなかった。だから私のさらざんまいには穴が空いてる。このアニメでは、久慈誓だけが報われない。誓と同じようにレオだって人を殺しまくっているのに、最終回ではマブとともに復活した。本当に、誓だけが報われない。
が、一晩寝て起きて、思い直した。多分、たとえ悠が最終回で誓に思いを馳せるシーンがあっても、別にそれで誓が報われることなんてない。むしろ、馳せなくてよかったのだ。
多分、悠は誓とって「外せなかった枷」で「うち勝てなかった呪い」だ。だったら誓は9話の死で解放されたし、悠が誓から卒業することが誓にとって救いなんだ。
久慈誓ってどういう奴なのか
25歳の久慈誓は、裏の人間で犯罪者だ。
両親の借金があったせいで「金がないから裏稼業に身を落とした」と思いがちだし、実際私もそう思っていたが、4話回想で悠はこう言っている。
「悪いことしちゃだめって、いつもお父さんが」
「お父さんとお母さんの悪口言う兄さんなんか嫌いだ、兄さんが死ねばよかったんだ」
これを聞いたとき、割と衝撃だった。
これを言った悠の演技は、例えば「父と母の突然の死を受け入れられず、半ばヒステリー気味に叫び、やり場のない喪失感と不安と悲しみを兄に八つ当たりのようにぶつける」みたいなものではなかった。
いたってフラットに、悪い子を諌めるような、当然の怒りと言うように、このフレーズは前から彼が抱えていたと読み取れるような演技だ。
つまり錯乱のあまり思ってもいないことを言ったわけではなく、この「(両親が死ぬくらいなら、悪い)兄さんが死ねばよかったんだ」という感情は当然のように悠が彼の中に持っていたものではないか?と思えた。
ここから何が言えるのか?おそらく両親が友人に騙され多額の借金を背負わされたこととは全く別で、元来誓という男は「ろくでなし」だったのではないか?と思う。
9話の回想〜4話の回想に到るまでのどこかで、おそらく誓は両親の借金事情とは全く無関係で、なんだったらそれが起きる前からアウトローだったのではないか?と思う。
そう思えば、悠の口から自然と「兄さんが死ねばよかったんだ」というワードが出ることも想像に難くない。真っ当になれないろくでなしの兄、彼を窘めようとする父、暖かいはずの家に飛び交う心無い罵声。
まともではない兄が、少なからず家の和を脅かす存在であったとしたら。それを悠がずっと見てきたなら、兄が生きていて、善良な両親が死んだと言う現実を目の当たりにすれば、そういう言葉が出てもおかしくない。
4話の時点では、誓と裏との接点がこの両親の借金と死しかなかったため「金がないから裏稼業に身を落とした」と勝手に脳が補っていたが、9話の幼き久慈兄弟が参加している祭のことを考えると、接点はなくはなさそうだ。久慈誓が裏の道に進む縁は、別に両親の借金だけではないことが可能性として浮上してくる。
なお、9話の仲の良さそうな久慈兄弟と「兄さんが死ねばよかったんだ」は矛盾するようで矛盾しない。久慈兄弟はおそらく1対1では仲は良かったのだろう。誓が疎ましく思っていたのが両親、悠が嫌いとおもっていたのが両親の善なる愛を撥ね付ける兄なら、両親が介在しない1対1の久慈兄弟が険悪になることはない。
いろいろ脱線したが、総括すると以下の可能性が見えてくる。
久慈誓という男は、生粋の悪ではないか?と。
それでも「兄」である久慈誓
上記で述べたとおり、悪でろくでなしでアウトローであることが久慈誓の本質であると捉えると、彼の取る様々な行動には齟齬がない。
自分を追い回す厄介者から逃げるために燕太を蹴り飛ばして盾にするのも、弟分の軽率さを見かねて殺すのも、彼が「優しい悠の兄」と思えばとてもショックを受けるけれど、彼が魂の芯からアウトローで「悪いやつが生き残る」(=自分が生き残るためならこの厳しい世界、何をやってもいいしそう思えないやつは死んだって仕方ない)が信条の男だと思えば、そりゃあそうだ、と納得できる。
優しい兄が止むに止まれぬ事情で悪になっているのではなく、久慈誓という男は生まれたときから社会規範に従って生き、世間が決めた「真っ当」に乗っかって生きることがとても苦手だった。だから、久慈誓は別に優しくないし他人への思いやりはないし、正直者はバカだと思っていて、自分に好意を寄せるやつは利用価値のある素材だと思っていても、それが「彼」と言う人間なのだ。
それでも。それでも久慈誓は最後に悠を庇って死んだ。なぜか?悠を愛していたからか?違う。
悠が「弟」で、誓が「兄」だからだ。
誓は、アウトローで悪いやつでも、「兄」という自分の肩書きと「兄弟」という面倒な絆だけは、どうしても捨てられなかったし切れなかった。
誓は悠が好きで可愛いから庇ったのではない。悠が「血の繋がった弟」だから庇って「しまった」のだ。
自分より出来がいいし、真っ当なことしか言わないし、何だかわからない勝手な罪悪感で自分の道にくっついてくるし、そのくせ自分よりも「商売」の才能があって、いずれは自分の立場を脅かすかもしれない、どうしようもなく鬱陶しい目障りな存在、それが誓にとっての悠だ。
でも悠は弟だ。
どんなに鬱陶しくて目障りで、これが知人や友人や恋人なら簡単に切れる縁だったとしても、それでもどうしても切ることを戸惑うし、そう思う自分を守るためにか、可愛く愛しく見えてくる者、それが「兄弟」なんだと思う。
誓は9話Bパートラストのあの時、もし悠が友人や舎弟なら間違いなく殺せた。でも、悠が弟だったから殺せなかった。誓がどれだけ人を殺して悪さをやっても、誓と悠が同じ親から生まれて、誓が先にこの世に触れてそのあと悠がやってきて、そしてそれを誓も悠も「事実である」とお互いが認知してしまったそのときから、二人は何があっても一生兄弟だ。
それが誓にとっての面倒な繋がりだ。どんなに切りたくたって、切ったつもりになったって、土壇場で自分の足元を掬って全部を台無しにする、一生逃れられない枷で呪いだ。
悪でアウトローが誓だ。でも、それでも誓は「兄」なのだ。
9話ラスト、撃たれたことに衝撃を受ける誓。これが、誓が悠に敗北した決定的な瞬間だった。
悠のせいで予定が狂ったというのは、捨て台詞だ。これで自分の飯は当分なんとかしろ、と悠の頬に叩きつけた血濡れの万札は白旗だ。塗りつぶせなかった写真に映る幼い悠は、誓が「兄」という肩書きに勝てなかった証拠だ。
「兄」は「弟」には勝てない。少なくとも久慈誓の中にいた「兄」は「弟」を守る生き物だった。その生き物に、誓は勝てなかったのだ。
最後に
これまでつらつらと書いたことは、当たり前だけど妄想でしかない。誓が裏稼業に手を出したのはやはり実家の困窮が原因かもしれないし、誓は徹頭徹尾、弟の悠を愛していて、彼の行動原理は全て悠のためのものだったのかもしれない。
ただ、上記の妄想が誓の本質だったとしたら、9話で死んだ彼を11話の悠が回想しなかったことは、誓にとっては幸福だったろうと思った。
だって、切りたくて仕方のない縁から死してなお逃れられないって、それはもはや呪いではないか?
悠があえて誓を想起しなかった(想起する描写を入れなかった)のには、悠側の視点で色々と理由はあると思う。
が、久慈誓というキャラクターが好きでさらざんまいを見るようになった私としては、こうした整理を付けることですっきりすることができた。
今までずっと、残された側が死んだ相手を思い続ける「繋がり」が好きだった。
が、久慈誓というキャラクターを見たことで、「死後なお自分が望まない関係性を望まれ続けられることの苦しさ」とか「繋がらないことの自由さ」みたいな切り口でそのキャラクターの魅力を見つけようとする面白さを知った。繋がっていたい、がテーマのアニメのはずなのに、なんだか面白い。
そして、こうも思う。久慈誓は死んでいるから、その後のことなんて全くわからないし、お空の上から悠を想って見守っているなんてこともない。死んでるから。
死んでわかりあえるなんてない。
生きていないと意味がない。
思い出に永遠はない。会って見て話してを繰り返す日々がなければ人は人の記憶から消えていく。だから生きていないと意味がない。「生きて」つながっていないと意味がない。
そういうメッセージを久慈誓が背負っていたのかもしれないと思うと、やはり彼のことが一層好きになるし、11話の終わり方が良いな、と思えるのだ。