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n史郎がツイッター字数制限以上のつぶやきをしたいときの置き場です。

プロメアは情報量ダイエットが格段に上手い

プロメアを、初見から起算して2週間のうちに通算4回見た。1週間目で3回見て翌週に4回目を見る頻度だ。

 

プロメアが唸るほど「上手いな」と思うのが、2時間映画という枠できっちり風呂敷を畳んできたことだ。プロメアはオリジナルアニメ、つまり既存アニメの劇場版とか完結編ではないので、本当にこの2時間の枠で世界を初めて世界を畳まなければならない。それをきっちりやってきたな、というのが圧巻だ。

だけど、見た人全員思うことだが、2時間の枠に綺麗に収まったからと言って決してこじんまりした小さめスケールの話ではない。レスキューのメンバーみんなにスポットをあてたり、リオの過去とかガロ・クレイの馴れ初めとかにスポットをあてたら2クールでも尺が足りたかどうかわからないのでは?というボリューム感をぎゅ〜〜っと圧縮している。2時間の枠なのに2クールアニメ並みの中身を味わえる。濃厚。

 

そう、だからプロメアは異常に情報量ダイエットが上手い。私がプロメアに病みつきになる最たる理由はここである。

 

※核心的なネタバレがしょっぱなから出ているので未視聴の人は早く映画館に行って欲しい。

 

プロメアは家族を描かない

プロメアではエリス・アイナ姉妹をのぞいて徹底的に「家族」が描かれない(エリス・アイナがなぜ姉妹でなければならないかは後述する)。ここが非常に上手い。

これが非常に活きているのが、クレイ・ガロの関係においてである。ガロは幼い頃火事に合い、その時助けたのが後のプロメポリス司政官、クレイだ。ガロは、自分を救ってくれたクレイを「旦那」と慕い、彼に恩を感じで火消しとして生きている。

が、終盤明らかになるが何を隠そうこのクレイがバーニッシュであり件の火事の犯人だった、とわかるわけである。

字面だけ追うと(クレイが半ば事故に近い形で放火してしまったのもあり)吐き気を催す地獄なのであるが、ガロのスーパー光属性もあってか物語は最終的に爽やかな結末を迎える。視聴後家に返って「…ん?」となることはあっても、あのジェットコースターのような映画をリアルタイムで見ている間は観客全員あの爽やかさを味わえたと思う。

なぜか?それはひとえに「ガロの家族の描写がないから」だと思っている。

よく考えれば、ガロがアンドロイドでもない限り絶対彼には生みの親がいる。今、彼の親はどうなっているのか?順当に考えると件の火災で亡くなっていそうなものだ。が、もしかしたら親は無事避難できたのにガロだけが取り残されて、それをクレイが救ったのかもしれない(4回しか見ていないので不安だが、「クレイがガロの親代わりである(=ガロの本当の親はいない)」という明確な描写はなかったはずだ)。というか、そもそもガロは孤児で、あの火災の時点ですでに両親を失っていた可能性もある。

さて、もし「ガロの両親がクレイによる火災で死んでいた」という描写が本編中にあったらどうなるだろう?決してあの爽やかなエンディングは訪れなかったと思うし、どうひっくり返ってもあの2時間で納得のいく結末まで持っていけなかったと思う。ガロだって「自分だけが生き残ってしまった」という自罰的なキャラになっていそうだし、自罰的でなかったら「自分だけ生き残ってなんでそんな明るいんだ?」と一部からバッシングを食らう羽目にもなりそうである。

そんなことを本編でやった日には、ガロ・クレイ編みたいな形で二人の過去までがっつり掘り下げ5話くらい割いた上でさらに2時間ものの映画でガロ・クレイ決着編をやらなければいけないほどの厚みになると思う。

がしかし、プロメアにそれは許されない。なぜなら2時間一本勝負ものだから。ではどうするか?簡単だ。「家族」を描かないのだ。

プロメアは、あのカートゥーン的なタッチと世界観も相まって「家族がいない」有様が絶妙に許容されている。ラインフレンズと一緒だ。多分、ラインフレンズのムーンに「親父とお袋いたのか…」と驚く人はいても「なんでサリーの母親はどこにもいないの?!」とか「ブラウンからの仕打ちを知ったら、コニーの両親はなんて言うだろう」みたいに心を痛める人は少ないと思う。

だから、プロメアを見た観客の中で、家に帰ってから「ガロの両親はクレイに焼かれたのかな?だとしたらガロの気持ちは…ウッ、もう一回見に行って確かめに行かなきゃ…」という人はいても、あの2時間を目の当たりにする中で「なんでガロの両親の描写はないんだ?!」とそれに気を取られて集中できなかった人は少ないと思う。「なるほど、このアニメは"そういう"感じなのね」と割り切って、画面に映らない、見えない外縁情報はシャットアウトして目の前の2時間に集中できたはずだ。

あの2時間で存在するキャラクターを厳選し、そして厳選したキャラクター「以外」に意識を向けさせないことを徹底する、これが本当に上手いと思う。

 

プロメアは3人の物語だし3人以外はガンガン削る

先の項でプロメアは家族=登場人物の外縁情報をシャットアウトすることで情報量のダイエットをしていると書いたが、この映画のダイエットのストイックさはそんなところでは止まらない。

私が大変驚いたのが、ガロ・リオ・クレイ以外の登場人物がキャラデザも声優も大変魅力的なのに全然深掘りされないし話の根幹に入り込んでこないところだ(エリス・アイナについては後述する)。

私は冒頭早々レミーに心奪われ、そういえば公式ホームページの人物紹介では副隊長と記載があったし、隊長のイグニスとの熱いコンビとかがあるのかもしれない…と思ったら全然なかった。

プロメアが2クールアニメなら絶対レミーメイン回が1〜2回あったと思うし、全キャラクターがそういう掘り下げがあってしかるべき魅力を抱えていたと思うのにその魅力が明確にはわからなかった。(でもそこにいるだけで「こういう魅力があるキャラなんだろうな」と雰囲気を察して勝手にレミー回を見た気持ちになってしまう)

そう、もう何度も言っているが、プロメアは2時間映画だ。レミー回をやっている余裕はないしそこまで風呂敷を広げたら収集はつかない。だからレミーは刈り上げおかっぱでミントグリーンでメガネで声が吉野(これは過去作品からの絡みとは思うが)なのだ。そんな見た目と声の彼が冒頭早々レスキューギアで登場し、フッ…みたいに出てきたら彼が組織の中でどういうポジションでどういうスタイルなのかは把握できて、もうそれでいい。

それ以上の掘り下げはいらない、あとは彼が彼と言うキャラクターらしく要所要所で振る舞うだけでいい。バリスもルチアもイグニスもそうだ。それだけでバーニングレスキューがどんな組織なのか描写し切れる。時間を割かずとも視聴者に伝えられる。

この割り切りも見事だ。話の筋をブラさないためにあえて主役3人以外をバッサリ切る、そして必要最低限の「その他のキャラクター」のモーションで、主役3人が身を置く組織の有様を描く。

出したキャラクターである以上、描ききらないといけない、は「違う」し、描ききらなくても「活きる」を魅せてくれるのもプロメアなのだ。

 

プロメアはショートカットのための家族はガンガン使ってくる

ここまで後回しにしてきた、アイナとエリスの話をする。話を普通に追っていくと、エリスは結構なまでのシスコンだ。いっそ母子の方が良いのでは?と言うほどの溺愛ぶりであるが、これには訳があると思っている。

プロメアは話の都合上、①パルナッソス計画の要の研究を行う人間がクレイ以外で必要であり②その人間が終盤クレイを裏切ってガロ・リオ側に寝返る という流れが必要だ。そして、この①②の流れは物語の鍵になるポイントではあるものの、やっぱり尺を割くわけにはいかない。

だから、プロメアはアイナとエリスを姉妹にした。①を担う研究員の家族をガロ・リオ側に置き、かつその研究員を家族第一の思考にすることで②を違和感なく行えるようにした。「エリスは妹思いの姉」という、たったそれだけの要素が②に自然さを与えるし、わかりやすく明快に描くことができる。

 

これは、我々視聴者が「家族は(一般論では)思い合うものだし、(一般論では)何より優先するもの」という概念を大なり小なり持っていると見越しての技だ。プロメアはこの概念が視聴者にあると信じ、一から「どうしてエリスがクレイを裏切るのか」という説明を「エリスは妹思いの姉だから」でショートカットした。見事なまでの時短だし、この時短が見込めるからプロメアの中でアイナとエリスは例外的に家族なのだ。

また、アイナが主人公3人をのぞいてダントツで描写が多いのはヒロイン枠ということもさながら、エリスがクレイを裏切る=地球を捨ててでも救う価値のある良い人間だ、と視聴者を納得させるためだったと思う。

エリスが裏切った段階では半年という未来はあるものの、やはり決定的な地球冷却の策がないためパルナッソスで1万人を救わなければ人類全てが地球と一緒に死なば諸共だった。つまりプロメテックエンジンを壊す=クレイを裏切る=人類破滅だったのは事実だ。

エリスはガロのように「俺がなんとかして全部救う」みたいなマインドの持ち主ではなかったので、あの場でプロメテックエンジンを破壊したというは「今人類を救う代わりに妹を失うなら、半年後に地球ごと妹と心中する」という心理にあったと見ていいと思う。

エリスの動機と、ヒロイン。二人分の描写のための尺はない。だからアイナはエリスの裏切りの動機とヒロインを兼務することで時短を実現しているし、だから例外的に主人公3人以外で描写の尺を許されているのだ。

 

最後に

ということで、プロメアは情報量が多そうな映画の振りをして、情報量ダイエットが非常に上手い映画だと思う。2時間枠のなかで起承転結、世界の始まりから終わりまでをどうやって「パンパンに」収めるかの試行錯誤と匠の技を感じる。

ガロが底抜けに光属性なのも、私はこの2時間問題のためだと思っている。ガロはバカだけど聡明というのがよく聞く評判だが、ガロはこの2時間の枠の中に収まるために迷ったりいじけたり喚いたり怒ったりできず、聡明になるしかなかったのでは?と思う。

だからこのショートカットされた(と私を含めた一部の視聴者がゲスの勘ぐりで勝手に感じる)ガロの感情を解凍・復元して色々と妄想する余地もあって、なるほどプロメアは抜かりないなと感じるのだ。遊ぶ余地しかないではないか。