リオは残酷なまでの強者だから「バーニッシュは人を殺さない」と言える
※この記事にはリオ編のネタバレが大いに含まれます。リオ編感想記事なので、まずはリオ編を見てください。
私はプロメアを初めて見たのが6月下旬だったので、ガロ編、リオ編を特典として閲覧できなかった。ガロ編だけは期間限定のgyao配信で視聴したが、リオ編だけは見逃した状態だった。
先日のプロメア売り上げ10億記念でガロ編、リオ編が劇場でも上映されることになり、私も例に漏れず見に行った。多分…これで8回目くらい。
そして、リオ編を閲覧してリオの見方がガラッと変わってしまった。これはリオ編を見た人と見ていない人では相当感じ方が変わるのではないか?と思い、この気持ちは記しておきたいと思ったのでメモ的に書きなぐっていきたい。
バーニッシュは自分たちをバーニッシュと認められないから弱い
半端にかじった程度でこの例えを出すのもおこがましいと思うのだが、私はプロメアのバーニッシュを最初見た時、東京喰種に出てくるグールを思い出した。本当に最初の方の漫画を友人から借り、面白いな、とかじった程度なので詳しい説明は避けるが、言いたいことは以下の二点だ。
バーニッシュは
・通常の人より身体的に優れた能力(一対一で戦ったら相手に勝てる能力)を有している
・けれどその能力を活かして、常人にマウントを取ることができないどころかマウントを取られている
というわけである。
これってよく考えると不思議だ。
バーニッシュはその気になれば徒党を組んで非バーニッシュを制圧し、何だったらその力を持って非バーニッシュを奴隷のように従えるだけの力があると思う。ピストルを持って、丸腰の人間に突きつけ「動くな!」と脅せば大抵言うことを聞かせられる。それと同じだ。
これがまかり通らないということは、おそらく以下のような条件が揃っているからだと思う。
・一対一なら優位に立てるが、そもそもバーニッシュは母数が少ないので数の原理で負ける
・非バーニッシュも武装さえすればバーニッシュに対抗できるし制圧できる力を行使できる(これはフリーズフォースで証明されている)
・バーニッシュの中で自分を「バーニッシュ」に帰属させられることのできる人間は少ない
で、一番大きな要因となっているのは、この
・バーニッシュの中で自分を「バーニッシュ」に帰属させられることのできる人間は少ない
というものなのだろう、と私は思っている。
これを大変うまく表しているのがシーマだ。彼女は火災から救助された直後、自分の意思とは関係なくバーニッシュに覚醒してしまう。覚醒の瞬間はガロ編で描かれているが、その時点でも自分がバーニッシュであることを受け入れられていない様子だった。
ここから何が言えるのか?つまりバーニッシュたちはもともと非バーニッシュであったので、よほどの思い切りがない場合自分の帰属先を「非バーニッシュ」で固定してしまうのはないか、ということだ。
彼・彼女らには「私はバーニッシュだ」と言えるだけの強さはない。自分がバーニッシュになったことが誇り高い運命とか選ばれた人類になれたとか、そう言う風にポジティブには捉えられない。彼・彼女らからすれば、自分の右腕が望んでもいないのにある日突然制御の効かないピストルになってしまったという恐怖しかないのだ。便宜上、この状態を「病」と称することとする。
だが、実際起こった現象は、①発火するようになった②コントロール可能な部分もあるが、暴発するときもある③けれどその炎で自分が傷つくことはない この3点の条件付きの力を手に入れたと言うだけなのだ。
この③=この力の行使によって自分の身体が損なわれるリスクはない、という条件が効いていて、よく考えなくてもこの力のどこにデメリットがあるんだ?と思えないだろうか。俺はすごい力を手に入れてしまった、物理バトルに持ち込めたら負けることはない。覇権を取れるぞ…!と、どうして思えないのか?
それはやっぱり、その力を有していても自分の帰属を「非バーニッシュ」から動かすことができないからだと思う。バーニッシュの力を「病」とみなすのは、非バーニッシュの視点だ。自分の視点が非バーニッシュから動かせないから、バーニッシュは弱い。その凄まじい特殊能力を活かすことができないまま忌み嫌って終わっている。
彼らはどことなく、自分たちがはみ出しものだと思っている節がある。これは本当に変な話だ。バーニッシュは別にはみ出しものじゃない。バーニッシュという枠の中で見たら全くはみ出さず収まっている。
バーニッシュをはみ出しものだと言えるのは、観測者が立っている枠の中にバーニッシュが入っていないからだ。だから、バーニッシュは自分の観測地点がバーニッシュであると理解できてれば、その枠内の自分たちをはみ出しものだと言うことはない。むしろ、非バーニッシュがはみ出しものだ。プロメアに選ばれなかった劣等生物が非バーニッシュである。何の力も持てず己の身も守れない弱者。
そう思えることもできたのに、そう思えない。それはなぜかというと、バーニッシュが生まれ持って得た力ではなく後天的に覚醒して出来上がる人々だからに他ならない。
この力をポジティブに解釈することが凄まじく難しいから、バーニッシュはただ虐げられる存在になってしまうのだ。
だって彼らが自分を選ばれた存在だと思い、非バーニッシュを下等動物だと見ることができれば別に全部焼いてしまえばいいではないか。蚊を殺して号泣したり罪悪感を覚える人はそんなにいないと思うので。
自分がバーニッシュだと言えるリオ
そんな中で、自分たちの帰属先をバーニッシュと認識し、自分たちを追ってくる政府から逃げ、自分たちの村で生きようとする少年がいる。リオだ。
リオの炎を操る力はダントツだ。そのダントツさもあって彼はバーニッシュたちの頭をやっている。(実際はマッドバーニッシュの頭領だが、事実上マッドバーニッシュがバーニッシュをまとめているのでバーニッシュ全体の頭と見ていいだろう)
リオの主語は仕切りに「バーニッシュ」になるし、彼の仲間意識というか「バーニッシュというくくり」の意識は強い。他のバーニッシュが自分の立ち位置と視点がちぐはぐなのに比べ、彼は立ち位置と視点が一致している印象を受ける。
そのせいか、ガロとリオのやりとりは一種の異文化コミュニケーションに見えて、これはやはりリオがバーニッシュという人々を「バーニッシュも人間だ」と言いながら、「バーニッシュは非バーニッシュとは異なる」と規定できているからだと思う。
大阪の人は日本人だ。でも東京の人とは視点も言葉もエスカレーターの立ち位置も違う。同じ日本人だけど僕たちは違う。そういうことである。
私は、このリオの「バーニッシュというくくり」の意識は、言い方が最低ではあるが被害者感情から生まれているのだと思った。
自分たちは同じ日本人のはずなのに、クラスの友人からは「リオ、喋り方変〜!」「マクドって何?おかしい〜!マクドナルドはマックでしょ〜!」といじられ続ける。周りの関西からの転校生はみんな泣き寝入りだ。おいこんなのおかしいぞ、僕たちは変じゃない、僕たちの言葉を使っているだけだ!
こういう感情が前に出てリオはバーニッシュという括りを意識するようになり、リーダーを張ることになったのだと思っていた。
みんなが泣き寝入りをする中、リオはどうやら他の仲間たちより力がある。前に出るなら自分しかない。同じ悲しみを抱える人たちを代表するから、リオはその代表者としてバーニッシュを背負っていて、だから誰よりバーニッシュという括りを自負している。
なので、リオは弱者の中の強者だと思っていたし、リオもその意識があるのだろうと思っていたし、この7回映画をそういう風に見てきた。
でも違った。全然違ったのだ。リオは、ただ単純に強かったのだ。そしてこれは、あまりにも残酷で無慈悲で絶対唯一の法則だった。
誰にも虐げられないからリオは強い
問題のリオ編を見た。
リオ編とは言ったものの、実際はメイス・ゲーラ編と言った方がいいのではないか?と思うほどリオの出番は少ない。フリーズフォースに追い詰められたメイス・ゲーラを助けるためにどこからともなくリオが現れ、バーニッシュアーマーを纏うこともなくヴァルカンを圧倒する。ちなみにメイスとゲーラはバーニッシュアーマー装着後でも全然歯が立たなかった。
この時、フリーズフォースを倒すチャンスにも関わらずリオは「殺してはいけない」とメイス・ゲーラを諭す。バーニッシュは人を殺さない、というリオの信念がここで出てくる。
私はこのシーンを見て、心底ゾッとした。そして、リオというキャラクターがどうしてあんな真っ黒な龍になるのか、わかった気がした。
リオはどうして「人(=非バーニッシュ)をむやみに殺さない」と言えるのか?これは単純に、自分たちバーニッシュがその気になれば非バーニッシュなんて簡単に殺せるほど自分たちは本来強者であると「わかっている」からだし、リオにとってはその通りだからだ。
同じことをもう一度書くが、リオはリオ編でバーニッシュアーマーを纏うこともなくヴァルカンを圧倒する。本編でも不意打ちの連鎖型凍結弾がキマったからピンチに追い込めたが、結局これも自分でぶち壊して真っ黒な龍になって街を襲いにくる。
リオは、強さの次元が違うのだ。神と人くらい違うと思った方がいいのだと思うし、少なくともリオの視点はそうなのだと思う。
リオが炎の声を聞くことがバーニッシュの宿命だと言う時、正直「何言ってんだ?」と思った。言っている意味がわからない、というより、どうやったらそういう割り切り方になるんだ?と思った。
でも、リオが神の力を手に入れてしまった、という見方をすればわかる。
世界の誰にも及ばない絶対無敵の力を有した人々がバーニッシュだと思えるのなら、炎の声を聞くことも、もっと燃えたいと言う炎の願いを叶えてやることも「宿命」と思えるだろう。だってリオからすれば自分たちの力は病気なんかじゃなく「選ばれて得た力」だからだ。自分たちは神の使いだと思えるなら、リオの言い分はわかる。
そしてリオがこう思えるのは、リオの力が「強い」からだ。リオの力が弱かったら、リオも他のバーニッシュたちと同じくバーニッシュの力は「病」だったはずだ。
だた、これだけなのだ。これ以上でも以下でもないだろう。
おそらくなのだが、リオはある日突然炎を操る力を手に入れた時、今の状態に近いくらいのとんでもないパワーが出せたのだと思う。つまり訓練して今の状態に持って行ったのではなく、最初からこれだったのだろう。
だから、リオも最初から「とんでもない力を授かってしまった」と思ったと思う。炎を操るという方法だけ教えられ、そのバリエーションや出力、持久力を自分で成長させたなら多分こういう「宿命」とかいうワードは出てこない気がする。
ある日突然真っ黒な炎を操る龍にもなれるほどの絶対的な力を手にしてしまった。どうして自分がこの力を手にできたのかはわからない。だからリオは理由を後付けした。自分はこの炎の声と願いを叶えるために選ばれた。そして、同じ宿命を背負う同胞を導く者となるためにこれだけの力を与えられた。
こう言う思考回路になっていたなら、唐突にゲーラやメイスたちを助けに来た理由もわかる。だってリオからすればそれが自分の生きる理由だからだ。
リオは「人(=非バーニッシュ)をむやみに殺さない」と言えた。自分たちを襲ってきたフリーズフォースにも言えた。これは心が綺麗だからとか誇がどうとかそんな綺麗事ではないのだと思う。少なくともあの時点では殺さなくても勝てるし、非バーニッシュが自分にとって殺すほどの脅威でもないからそう言えたのだ。
部屋の中にいる蜘蛛を気持ち悪いと言う理由で殺すな、それと同じ理屈があの台詞の中にあったのではないかと思うのだ。
だからリオはクレイだけは許せなかった。クレイは、部屋の中にいる蜘蛛は蜘蛛でも毒蜘蛛だ。かわいそうだからとほっておいたら自分たちの仲間を巣に捉えては毒を持って捕獲し捕食する、有害な生き物だ。自分たちの慈悲を無視して好き勝手するクレイは神であるリオの逆鱗に触れたから、リオは真っ黒な龍になって天を駆けた。
リオは弱者の中の強者じゃない。リオは圧倒的強者だ。リオは圧倒的強者だから残酷なまでに余裕があって優しい。本当にただそれだけの話かもしれないという恐ろしさを、あのリオ編で私は感じた。